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大谷桃子(車いすテニス)の病名は?高校や中学と所属も紹介!

大谷桃子(車いすテニス)の病名は?高校や中学と所属も紹介!
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今回の記事は「大谷桃子(車いすテニス)の病名は?高校や中学と所属も紹介!」です。

大谷桃子さんと言えば、車いすテニスで東京2020パラリンピックにも出場予定のプロテニスプレーヤーですよね。

大谷桃子さんは数々の大会で成績を収めていますが、車いす生活になったきっかけの病名は何だったのでしょうか?

出身高校・中学や現在の所属についてもあわせてご紹介していきたいと思います。

 

大谷桃子(車いすテニス)の病名は?

大谷桃子さんが車いす生活を過ごすきっかけとなった病名は何だったのでしょうか?

調べてみたところ、大谷桃子さんは生まれつき障害があって車いす生活を送っているというわけではありませんでした。

専門学校に通っていた19歳の頃に、突然病に襲われ右足が痙攣を起こすようになり入退院を繰り返しました。

その治療の為に使われた薬の副作用により、右足や右手指の麻痺が起きて車いす生活になったそうです。

その病名については明かされていませんでしたが、その病気自体ではなく、治療の為の副作用で車いす生活を余儀なくされたという事なので、19歳でこれからという時にどれほどショックだったのか図り知れませんよね。

 

車いすテニスを始めたきっかけ

病気を治すために、引きこもる時間も長く、薬の影響で寝たきりの時期もありました。

そんなふさぎ込んでいる大谷桃子さんを見かねて、お父さんが車いすテニス同好会へ連れて行ってくれた事が、のちに車いすテニスを始めるきっかけとなります。

車いすテニス同好会で出会った方々が、車いすでも自分の力で生活し、働いて、生き生きしている姿に感銘を受け、このような状況下にあるのは自分だけではないと勇気をもらい大学進学を目指します。

もともと大谷桃子さんがテニスを始めたのはお兄さんの影響で、小学3年生の時で、高校在学中にはインターハイに出場するなどテニスプレーヤーとしての実力もありました。

2016年に、兵庫県車いすテニス大会で試合デビュー後、同年に行われた全日本車いすテニス選手権で準優勝を収めます。

その後も、様々な大会で優勝し、2018年にはアジアパラ大会で銅メダルを獲得するなど選手として数々の成績を収め、一躍日本代表候補に躍り出ました。

東京2020パラリンピックの代表を目指す際、大谷桃子さんは、勝ち負けで自分自身が喜んだり悔しがったりするだけではなく、スポンサーや大学のある佐賀地域で応援してくださる方々に対して、「良い報告がしたい」という恩返しの思いが根っこにあると語っていました。

そして、「練習は裏切らない」との思いで、日々練習時間の確保を大切にしているそうです。

19歳で突然車いす生活を余儀なくされてから、現在に至るまで、逆境をはねのけて前進していく姿には、本当に勇気をもらいますよね。

大谷桃子さんは、とても強く、努力の方なのだと感じます。

 

大谷桃子(車いすテニス)の出身高校や中学は?

大谷桃子さんの出身高校や中学はどこなのでしょうか?

調べてみたところ、小・中学校とテニスを続け、高校はスポーツ推薦で「作新学院高校」に進学しています。

作新学院高校は、世界スーパージュニア大会やアジアオープンにも出場経験のあるテニスの強豪校です。

出身の中学校については、公表されておりませんでしたが、地元が栃木県で、作新学院高校も栃木県の高校なので、おそらく地元の中学校ではないかと思います。

大谷桃子さんは、高校進学後は、テニスプレーヤーとしてではなく、選手をサポートするトレーナーになる為に専門学校へ進学したそうです。

専門学校在学中に車いす生活になった為、トレーナーとしての夢は叶いませんでしたが、今や日本を代表するテニスプレーヤーとして活躍しているので、本当にすごい事ですよね。

 

大谷桃子(車いすテニス)の所属はどこ?

現在、車いすテニスプレーヤーとして活躍している大谷桃子さんの所属を調べてみたところ、かんぽ生命株式会社でした。

かんぽ生命株式会社は、2018年から一般社団法人日本車いすテニス協会(JWTA)のトップパートナーとして、全国で開催される車いすテニス大会や、ジュニア世代を対象とした車いすテニスのイベントへの協賛を実施しています。

その後2020年に、大谷桃子さんはかんぽ生命株式会社の正社員として所属、佐賀県を拠点にその活動を支援し、夢に向かって自分らしく挑戦し続ける姿を社会に向けて発信しています。

 

まとめ

大谷桃子(車いすテニス)の病名について、高校や中学と所属をご紹介しました。

大谷桃子さんは生まれつき車いす生活をしていたわけではなく、19歳で突然の病に襲われ、しかもその治療による副作用で車いす生活を余儀なくされました。

小学3年生からテニスを始めて、テニスプレーヤーを支えるトレーナーになるという夢を持って進学した矢先に起きた車いす生活は、本当にショックだったと思います。

ですが、大谷桃子さんはそこでくじける事なく前進した先に、今や日本を代表する車いすテニスプレーヤーになって、同じような境遇の人だけでなく、日本中に希望を与えていますよね。

これからも、そんな大谷桃子さんの活躍を応援していきたいと思います。

「大谷桃子(車いすテニス)の病名は?高校や中学と所属も紹介!」の記事を最後までご覧いただきありがとうございました。